羊という徴(しるし)

芸術作品に描かれてきた羊をめぐって

 羊に興味を持ちはじめたのは、フランスに滞在してからだった。パリのような大都市に住んでいても、羊の影は日常の至るところに潜んでいる。

 通年乾燥している彼の国では、人々は真夏であろうと羊の毛で編まれた衣に身を包み、体温を調整する。どんなに小さなスーパーマーケットでさえ流通している羊乳のチーズを見れば、羊が現代においても同地の酪農文化を支えていることが判る。

 そして、美術館に飾られている芸術作品のなかに描かれてきた羊たちの片影が、いつしか気になりはじめた。

 

 パリの三大美術館の一つであるオルセー美術館では、1848年から1913年までの作品が扱われている。つまり、市民革命と産業革命という二つの大きな画期によって芽生えた新たな世界観が芸術作品には照応されている。羊の姿は、一八一四年生まれのミレーを代表とするバルビゾン派の敬虔な風景画のなかに数多く描かれているが、それは急進的な都市化がはじまった産業社会に抗うノスタルジーの残照として映る。

 

 一方、世界大戦後の現代芸術を扱うポンピドゥー・センターの所蔵作品には、羊の表象はほとんど見当たらない。目につくのは、1921年生まれのヨーゼフ・ボイスによるフェルトの彫刻だけだろうか。そこには羊の姿形は無く、羊毛という原料だけが芸術家の観念を宿すための固有のメディウムへと変質されている。もはや現代の文化的なものさしにおいて、羊という存在がすっかり周縁化してしまったかのようである。

 

 羊の表象において最も興味深いのはルーヴル美術館である。ルーヴル宮殿が美術館として開館したのは1793年。様々な変遷を経た現在、美術館には古代から19世紀中葉までの美術、工芸品が展示されている。この所蔵作品の時代区分によって視えてくるものは幾つかある。自分の関心に引きつけるならば、写真術が誕生する以前の視覚芸術が、神話をふくむ世界の諸相をいかに描写してきたのかということが一つ。そして、羊毛や絹などの衣の文化史を顧みるならば、この世界に自然繊維しか存在していなかった時代の記録として捉えることもできるだろう。今では当たり前となった人造繊維がはじめて作られたのは19世紀末のことである。

 

 私は広大な美術館のなかを何度も彷徨い、古典絵画のなかに描かれてきた羊を捜しまわった。言わば、近代社会以前に結ばれていた羊と人間の関係を再考察するための探求(リサーチ)として。1452年生まれのレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた宗教画に表れているように、羊は人間社会に奉仕する存在として象徴化されてきた。豊穣、知性、そして犠牲。今日では考えられないほどの多様なしるしを帯びたこの草食獣は、近代までの社会にとって不可欠な生き物として光をあてられている。

 

 美術館の数ある役割の一つが記憶の保存にあるならば、芸術を知覚するとは、歴史を知覚するという行為に限りなく近いはずだ。

 一片の感光膜(フィルム)に焼きつけることのできた《ルーヴルの羊》に写る羊たちの残影は、いにしえの芸術家たちによって編まれた羊にまつわる記憶の表徴体である。画布や板面に定着されていなければ、誰も憶いだすことのできなかった歴史の「うつしえ」をとおして、私たちは不可視の過去を感受していく。

 

2020年10月 志村信裕

​「生命の庭―8人の現代作家が見つけた小宇宙」(東京都庭園美術館、2020年)より

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